我的日本語

今日は天気が良かったので、江ノ島か広尾かで激しく迷う。広尾で良かったのだが、窓からの天気を見ると、江ノ島も綺麗だったろうなと強く思う。

ミュンヘンは零下だったので、東京の暑さに驚く。欧州大陸から見ると熱帯と言ってよい。したがって、東京ではコートへの要求も異なるはず。欧州より、ずっと過ごし易い東京。

ソーシャルメディアには中毒性あって、つい双方向のやり取りをしてしまう。しかし、確かにシャローな一面もあって、例えばリービ英雄を読むのすら億劫になり、まして万葉集など。源氏ならば谷崎とリービ英雄から知る。いや、誰かも言ってたか。いずれにせよ、西洋ばかり見ていた自分にとってリービ英雄から知る古代日本。

さて、久々で一気読みしたリービ英雄。本格的に読んだのは10年振りか。またはアメリカで読んだか。記憶は定かでないが、新宿、マンハッタン、ワシントンDC、プリンストン、北京、上海、香港等、縁を感じます。水村美苗への返答の様なこの小説は、つい小説と書いてしまったが、解説にある自伝的日本語論と書くべきか、小説と書くべきか。約10年の間に、彼は中国を書いたり、書くはずのなかったアメリカを書いていたと知る。

非常に共感出来る内容となっており、魂を揺さぶられます。

ワシントンDCから、ニースへ行くと、通じないフランス語でも喜びと苛立ちがあって、アメリカに帰ると、俺って何て英語が出来るんだろうと錯覚出来た事や、ケベックでは、消えゆくフランス語に哀愁を覚えた事、サンマルタンとサンバーツでの体験を想い出します。希望を見つけようと必死だった当時ですが、なぜか力強い普遍的文明を感じていた事。日本に帰ると、急速にローカルで矮小な文化へと戻ってしまった。残念ですが。しかし、リービ英雄はこの司馬遼太郎による典型に異を唱えます。

自分がある時、ある会話の中で、ポスト・ポストモダンと口走って、我ながら上手い事を言ったと感じたのは、どんな場だったのか、想い出せないですが、激しい既視感に囚われながら、読み耽った事です。

リービ英雄の優れてアメリカ人的感性は、既に権威となっている源氏物語に対して、新規性と革新性を求めて、万葉集を選んだ事です。

ああ、この同時代人と出逢えて幸せだと、再び感じ入りました。

我的日本語 The World in Japanese (筑摩選書)

我的日本語 The World in Japanese (筑摩選書)

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

アメリカ素描 (新潮文庫)

アメリカ素描 (新潮文庫)