ジェネラルルージュの凱旋とフィクションの本質

先日、友人のお姉さんの演劇を観ていて、あの真面目な友人のお姉さんは、なぜ演劇の脚本を書いているのか、考え続けて、気付いたのです。例えば、日本人の1億2千万人は、日々喜怒哀楽を抱えながら、日本語的な空間と時間を生きている。すると、その日常の一コマ群から抽出して、再編集して、ある作品に仕上げれば、それは需要があるだろうし、人生のある凝縮した瞬間の再現になれば、学習効果もあるし、ある種のカタルシスとエクスタシーを得られるのではないだろうかと。

ですから、優れたフィクションは、現実と変わらないと私は思ってます。事実は小説より奇なり、と同時に優れた小説は、現実以上に深い体験となり得る。私にとって、そのような優れたフィクションの筆頭が地獄の黙示録です。

さて、ジェネラルルージュの凱旋。非常に感動的な90点でした。結局、魅力ある俳優たちによる劇的なシーンを見て、勇気や感動を得たいわけで、それは達成されました。俳優達に拍手を送ります。ただし、細部で、それは嘘だ!と感じて醒めるシーンもありまして、それが減点の理由です。とは言え、なんてかっこいい日本人だろうと思うと、涙でした。阿部ちゃんとジェネラルルージュと竹内さんと、素敵でした。