引越しの混乱の中と後で考えたこと

アメリカのアパートは広いので、ついモノが増えた様でした。買ったモノ、、と言っても、本や雑誌なのですが、に未練が生じて、つい制限を超えて、積んでしまう。ストレス高く、航空便と船便の配分を誤りました。

しかし、その後、身軽になれば、荷物の事は忘れます。更に、人間は裸で生まれて、色々なモノを背負い込みながらも、やがて一人で死んでいくことを考えると、背負い込んだモノや、蓄積されたモノや社会性に、どれだけの価値があるのか?いや、人間は正にこれらを蓄積するために生きているとも言えるのですが、、甚だ疑問ではあるのです。

と、色々考えながら、一番重要な事は、毎日を快活に生きていく事だと思うのです。

何も背負わず、真の自由人に近づき、屈託を捨てる事に、一瞬成功して、多少キャバクラで、もてた気がした!のですが、再び日常へ埋没して、塵と垢を纏い始めた、今日この頃です。


そして、今、ずーーっと読みたい本の筆頭だった本を買って読んでます。これは新たな視界が拓けて、今まで見落としていた真実を次々に発見出来て、私の歓喜と苦悩の理由を発見出来て、興奮せずにはいられません。更に、読みながら、漱石福翁自伝を読むぞと強く思います。うーーーーん、西欧の美術館が目指す世界の俯瞰と、司馬遼太郎の言う、一本道の世界史に対して、真っ向勝負した日本とは、世界史における奇跡か徒花か?考えさせられます。。これがベストセラーになるなんて、素晴らしい国だと思います。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

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