日本語の未来に関して

梅田氏の紹介と多少の誤解と炎上から、ブログがこの話題で盛り上がっている様です。私は国語とは近代国家が上から押し付けて、その結果として影響力を持ちながら、土着語となると理解してます。よって、日本語は日本国が公用語を英語に変えない限り、生き残ると思ってます。しかし、おそらく、梅田氏、小飼氏、そして著者は岩井先生の奥様ということで、3方とも深い考察ある気がしていて、是非、まずは読んでみたい。しかし、読む前に現時点での意見を書いてます。

なぜ上記の様に考えているのかというと、
上から英語を押し付けて、シングリッシュが広がりながら、中国語もなんとなく生き残っている、シンガポール
公用語が英仏でありながら、仏語を守るため、州の公用語を仏語に限定したケベック
上から仏語を押し付けられたが、フランスが去ってから、仏語が衰退したヴェトナム。
公用語として、英中が存在して、両方が共存した香港。しかし、それはシンガポール同様、現地版訛りの英語だった。
共通語としての日本語が開発されたのは、日清、日露戦争を通じてだった。
同様に近代国家が、イギリス、スペイン、フランス、ドイツ、イタリア、日本等として、それまでの小国群を、それぞれ統合する過程で、スコットランド語、バスク語、沖縄語、アイヌ語などの少数言語を吸収していった。
仏語が優勢だったルワンダで、教育用言語を、英語に切り替えた。

というようなこれまでの現実を見ると、少なくとも今までは、国家が決めて、公式に運用して、土着する/土着しないを繰り返している訳です。

いくらインターネットが発達しようと、土地という縛りはありまして、民族大移動ない限り、言語は非連続ではなく、連続的な変化をしていくと推測してます。従って、大国の言語は生き残るでしょう。小国の言語は消えつつある現実があって、それを惜しむならば、その言語空間、文化、経済を盛り上げる必要あると、消え行く少数民族のビデオなど見ると、強く感じます。