クラシックに関する考察

クラシックとは和訳すると古典だと思います。中学高校生の頃、私は古典を辛気臭くて詰まらない過去のモノと誤った定義をしてました。今、再定義すると、現代まで生き続けている過去のモノあるいは現代に再生した過去のモノです。

というのは、普通は、やはり忘れ去られるのです。ジョージブッシュ、ビルクリントン、小泉、中曽根、彼らは、未だ有名ですが、100年後に、語り続けられているかというと怪しい。宇野、安部、海部はたぶん忘れられている。すると、トーマスジェファーソン、ジョージワシントン、リンカーンJFKは、やっぱ偉い。しかし、ジェファーソンで既に日本では余り話題にならない。織田信長豊臣秀吉徳川家康は、おそらく語り続けられる。上杉謙信武田信玄はどうでしょう?語り続けられるには、語る現代人が必要で、生きた人間が語らない限り、クラシックは死んでいるのです。

クラシックは、現代に生きる数十億人からの挑戦を受けている。語り続けられるか、いや、よりインパクトある存在に置き換えられるかの戦いが続くわけです。

と考えると、バイブルとジーザスクライストは奇跡と言うしかない。ラテン語ギリシア語、ヘブライ語でとても高価だった書物に記述される前は、言い伝えで、生き残ってきたと思うのです。この奇跡的な古典だって、いつ全員が、やーめたと言って、記憶の彼方へ飛んでいく可能性もあると思うのだけど、未だ生き続けている。特にバイブルとジーザスクライストは、近代科学やキングクリムゾン?の攻撃にも数世紀以上耐えている。すごいことだと思います。


別件ですが、Dead or AliveのYou Spin Me Roundを、高校生の頃、なんて下品な曲なんだろうと思ってたのです。なんか欲望に忠実というかユーロビートの売れ線に忠実過ぎて、知性のかけらもないと、素直でない私は感じたのですが、、やっぱ、いい曲ですね。病み付きになる魅力があります。この曲が、焼き直されて現在まで20年以上、生き続けているのですが、100年後は、、さすがに生き残っていないだろうな。。